リサーチ・グループ第2回ワークショップ報告

by | Nov 9, 2019 | Uncategorised | 0 comments

去る8月19日から22日にかけて、本リサーチ・グループは東洋大学白山キャンパスならびに東京都内にて4日間にわたるワークショップを実施した。今回参加したのは、8名のリサーチ・グループのメンバー(英国から3名、日本から5名)と3名のリサーチ・フェロー(英国から2名、日本から1名)である。

8月19日の午前中は、東洋大学白山キャンパスにて、今回のワークショップにむけてのミーティングをおこなった。

午後は、金光教羽曳野教会長の渡辺順一氏、金光教LGBT会会長の井上真之氏、金光教国際センターの方々を交え、ディスカッションの場が設けられた。渡部氏によると、現在の日本における金光教の信徒数は約45万人、教会数は約1500である。明治時代終盤から昭和初期にかけておこなわれた病気治しの実践が近代社会の価値観と対立し、淫祠邪教と批判されたが、東京に進学した若手信者たちがそうしたマイナスの評価に対し教祖の教えと向き合い始めた。戦後~現在の金光教はそうした問い直しを経て築かれたものなのだという。渡辺氏によると、社会におけるマイノリティというよりも、アウトローという意識のほうが強い集団だったのではないかということだった。

金光教LGBT会会長の井上氏は、自身もLGBT当事者である。教会の跡継ぎという立場もあり、十代になると子孫繁栄を尊ぶ金光教の信仰心を持つゆえの自責・葛藤に悩んだ。初めてのカミングアウトは16歳の時、教会の先生に相談したときのことだった。性指向を変えてもらいたいというそれまでの自身の祈りが自己抑圧的な祈りであったと気づいたという。子どもができない人には「教えの子を授けた」という教祖の言葉との出会いも大きく、同じ悩みをもつ信徒たちの助けになりたいと2016年夏に金光教LGBT会を立ち上げ、2018年には各種団体の一つとして、本部の認可を受けた。

もちろん、個別教会や個々の信徒レベルでは、異論もあるかもしれない。しかし現在使用されている金光教LGBT会のレインボーのシンボルマークは、教団内の非当事者の有志たちから贈られたものでもあり、教団内のいわばマイノリティに位置する働きが、周囲に波及している事例とも言える。

夜の公開シンポジウムでは、ヴェロニク・アルトグラス氏(クイーンズ大学ベルファスト)による’Minority is beautiful’: The Euro-American Fascination for the Religious Other、ならびに村山由美氏(南山宗教文化研究所)による「男たちの女性教祖―消費されるマイノリティ」と題する発表と全体討議を行った。

8月20日は立川市の真如苑総本部を訪れた。職員による説明と質疑応答の後、開祖が最初に開いた真澄寺周辺の施設、ならびに少し離れた場所の応現院を見学した。真如苑の現在の信徒数は約100万人とのことだったが、夏休みという時期もあり、平日にも関わらず、来訪者は想像していた以上に多く、輪袈裟を着用した若い人や子ども連れの参拝者の姿もみられた。

第一精舎には、大涅槃像、開祖夫妻、夭逝した子息たちの像が配置され、その前には映像・照明・音声などの技術を駆使し、灯籠流しが再現されていた。また、応現院の敷地・施設は広大であり、この地域に限って見ると、エスタブリッシュメントともいうべき存在感を放っていた。真如苑は海外にも展開しており、海外で実施された宗教実践として、灯篭流しの様子が動画で紹介された(ハワイ、ニューヨーク、ベルリン、台北、ロンドン、ケニヤなど)。土着の宗教儀礼とコラボレーションしたり、日本のお盆に限らず、実施日をその国の記念日に合わせたりといった工夫により、現地の人びとが大勢参加している様子などが映し出された。

8月21日はディスカッションの後、東京ジャーミィ・トルコ文化センター(Tokyo Camii、渋谷区、https://tokyocamii.org/ja/)と礼拝の様子を見学した。東京ジャーミィは1938年に日本回教徒団によって現在の場所に設立されたイスラム教の寺院である。見学者も積極的に受け入れており、この日は国内外の旅行者や国内の修学旅行生と思しき制服姿の生徒たちのグループも見学に訪れていた。

礼拝の後は、日本のヤングムスリム(ムスリム第二世代)の支援活動をおこなっているクレシ愛民氏(名古屋イスラミックセンター)からのプレゼンテーションを聞き、さらに3名の男女のヤングムスリムたちを交えたミーティングの場が設けられた。クレシ氏によると、1980年代末頃から、パキスタン、バングラデシュ、イランなどからムスリム青年たちの来日が増え、日本人女性と結婚し、日本で家族を設けた者もいる。近年はその子ども世代のイスラーム離れ、学校や家庭における葛藤が課題だという。

その課題には様々な軸が交錯している。例えばヒジャブ(スカーフ)を被るよう勧める親への反発を感じつつも、決して親のことが憎いわけではない、また自分の心の中には神がいるのも事実で、大事にしたいと感じている。しかし日本育ちのヤングムスリムたちは、見た目でわかるビジャブを被ることが学校生活や友達関係に及ぼすかもしれない影響に悩むこともあるという。日本語や日本文化に馴染んでいる彼らは、親世代が直面することのなかった新たな課題を乗り越えようとしている。

クレシ氏たちは、情報発信やイベント活動などを通じた第二世代のヤングムスリムのネットワーク化を目的に、「olive」(https://www.olivejapan.org/about)というグループを立ち上げた。堅苦しい感じではなく、クールなイメージにする必要があると感じ、このネーミングを選んだのだそうだ。近年は、フラワー・アレンジ、ファッション、音楽などのシーンで活躍し、社会に発信するムスリムの動きもある。ただ、アルコールの摂取などにリベラルになっていくのは違うと思う、と一人のヤングムスリムは語っていた。それぞれの家族ごとに価値観や対応の差異はあると思うが、3名の若者が、言葉を選びつつ、静かに自分自身の考えを語る姿は印象的だった。

8月22日は、吉水岳彦氏と髙瀬顕功氏(ともに浄土宗僧侶で社会事業委員会ひとさじの会のメンバー)の案内のもと、浅草山谷地域(現在の台東区・荒川区)にある山友荘、訪問看護ステーションコスモス、NPOきぼうのいえ(ホスピス)、光照院墓地を訪ねた。高度経済成長期以来、全国からの日雇い労働者が集住したこの地域で、孤立・貧困・路上生活を余儀なくされた人たちの支援活動をしているNPO法人の一つが山友会(http://sanyukai.or.jp)である。

山友荘では、元ホームレスの人などに、住まい・食事の提供や、関係機関との連絡調整、居場所作り・生きがい作りとなる活動をおこなっている。会の代表はキリスト教の神父でもあるルボ・ジャン氏だが、その活動には吉水氏のような僧侶も関わっている。

故郷や家族とすら縁をなくし、孤立してしまった人たちは、没後に及んでもなお、無縁仏となり、孤立状態が続くケースも多い。それは、その事実を見ている存命中の人びとの生活にも不安感や不安定さをもたらすという。山友荘では利用者が利用者を見送り、故人を偲び、時折思い出を語り合うことを通じ、個人と社会とのつながりを紡ぎ直してきた。吉水氏は「大丈夫だよ」「亡くなった後も、みんなが思い出してくれるよ」「一人にしないよ」そういった思いをここに集まる人々に感じて欲しいと語っていた。故人たちの希望を取り入れてきた結果、山友荘に置かれた仏壇にはマリア像と仏像と数々の位牌が収められているが、像の位置に上下はなく、同じ段に並んでいる。

2015年には、光照院墓地に山友会の墓も建てられた。費用の問題以上に、社会とつながりを感じられる墓にしたいという考えからクラウドファンディングを利用したところ、家族内での孤立、つながりを作り直すという点で「自分も同じ」だとLGBTの当事者からも協力の連絡があったという。

以上、今回のワークショップでは、マイノリティという評価や概念が立ち現れたり、そうした眼差しが当事者によってやんわりと拒絶されたりする場面にも出会った。その一方で、社会や宗教集団内において周縁化された人びとや、それを支援する宗教者の活動が、様々な次元の周縁性という共通点を介してより広い社会と共鳴し合う一面も確認できた。その際、よりリベラルになろう、社会に関心を向けようといった単純な図式ではなく、宗教的伝統や所属する宗教集団自体の捉え直しや問い直しを伴っている点も大きな発見であった。

山口瑞穂 (佛教大学)

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