1925年から1945年の子どもたちの日常生活

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当時の子供たちの日常生活は、その子が置かれた環境に直接的な影響を受け、個々に様々な違いがみられた。例えば、都市部で暮していたか、田舎に住んでいたか、どんな家庭・家族構成だったか、家族の社会経済的背景はどうであったかなどの要因が影響した。同時に共通点もあった。インタビューを受けた人々は概して家族と同じ部屋で寝たといい、毎年ある期間は、蚊帳の中で寝たそうだ。風呂の習慣も多様で、裕福な家庭に育った人は、五右衛門風呂という下から焚き付ける形の釜式の風呂が家の中にあったと述べている(ロナルド・ドーア著『シノハタ』には、五右衛門風呂の愉快な説明がある。写真は、ビアズリー、ホール、ワード編著の「ヴィレッジ・ジャパン(日本の村)」を参照)。都会で育った人々は、銭湯と呼ばれる近所の公衆浴場を使った。田舎の村にはそのような公衆浴場がないので、隣組が集まって風呂を共有し、順番に釜を炊いたという。インタビューを受けた人々の幾人かは、風呂を使うのは現在ほど頻繁ではなかったし、湯も少なめで熱くはなかったと強調していた。屋外の公衆浴場についての回想もあった。風呂に入る順番は、(男性の)家長が一番で、その妻が最後というのが一般的だったようだ。風呂に頻繁に入らなかったことが、当時しらみが多かった理由かもしれないと述べた人もあるが、そんな覚えはないという人もあった。

インタビューの記録によると、着物から西洋式の服装への変遷は、都市部の裕福な家庭から始まったようだ。男子は頭髪を剃り、小学校の女子はほとんどがおかっぱと言われるショート・ボブの髪型だった。履物は社会経済的地位を表すものだったようだ。田舎では、履き古した藁草履か、裸足で学校に通った。藁草履は各家庭で作り、修繕した。冬になると、小学校の生徒は、伝統的な足袋を履いたが、屋内では必ずしも何か履いていたわけではない。キャンバス地のズックと呼ばれる靴を履いたという人もあった。冬に雪の多い地方では、ブーツのような藁靴を履いて学校に歩いて行ったことを回想する人もあった。

ピーター・ケイブ

文献の記載方法 

ピーター・ケイブ 「1925年から1945年の子どもたちの日常生活」近代日本における子どもおよび青年の生活と教育 [URLおよびアクセス日を追加]