1900年~1945年の選抜式女子中等教育

女子向け選抜式中等教育の主たるものは、「高女」と呼ばれる「高等女学校」だった。高等女学校での一般課程は4年間だった。(男子の中学校は5年間。)年月が経つと、在籍期間を5年間に延長する高等女学校も増えてきた。これは女子に対しても、より高度な教育への要望が高まってきたことを示唆している。とはいえ、そのような5年課程の高女は常に少数派にとどまった。

男子の選抜式中等教育では、様々な高等教育進学の機会があったが、女子の高等教育進学の機会は非常に限られており、ほぼ教員養成課程か、もしくは看護婦養成を主とした医療従事者養成課程が中心だった。女性の果たすべき役割は、主に家庭内にあると思われていた。しかし、実際には、農家に嫁いだ女性は多量の農作業にも従事していた。文部省の公式なイデオロギーは、女子を「良妻賢母」となるよう教育することにあった。

高等女学校の教育課程は、このイデオロギーを反映したものになっている。主婦にとって必要不可欠な技術とされた「裁縫」が、週に何時間もあった。裁縫は最初、和裁のみであったが、後に洋裁も加えられた。「家事」と呼ばれた家政学も重要視されていた。茶道を含む優美な伝統芸術や、西洋のマナーを含む行儀作法は「作法」の時間に教えられた。音楽や修身には、男子校以上に時間がかけられた。しかし、男子中等教育と同様、教育課程の核をなすものは学科科目であった。最も明白な違いは、英語に割く時間だった。男子中学校では、英語が最重要科目だったのに比べ、高女では英語の時間は少なく、履修しなくても良い学校もあった。算数や理科も男子校ほどのレベルまで教えられていたわけではなかったが、第一次世界大戦後は理科がより強調されるようになったこともあり、1920年代初頭までには、専用の理科実験室を設ける女学校も現れた。プロジェクトのインタビュー参加者の中には、1945年以前の女学校教育を利用して、戦後に教師養成大学に進学し、中学校の数学教師になった女性もいた。

理科が次第に強調されるようになったのは、第一次世界大戦中にヨーロッパ女性の担った役割の大きさを日本が認識したことの反映である。女性もよく教育され、身体的にも強健にならねば、日本は欧米勢力に対抗することはできない、と考えられるようになった。これは、スポーツや体育教育を強調することにもつながり、より体を動かしやすい洋服を制服として導入する動きを早めることにもなった。

1920年代〜30年代には、次第に多くの若い女性たちが就職するようになり、教師・看護婦に始まり、デパート嬢・電話交換手・バス車掌などの様々な職種につくようになっていった。女子教育は、相変わらず良妻賢母教育に付随するもので、これを補完するものに過ぎないと考えられていたが、(多くは男性であった)女学校の校長たちは、しばしば女子教育の改善と拡張を訴えた。

女学校の学生たちは、「女学生文化」と呼ばれる感受性、芸術、文学、感情を中心とする特殊な文化と関連付けられていた。学校では(特に日本の)古典文学を中心とした文学の学習が重要視されており、女学生の多くは当時の小説も熱心に読んでいた。特に人気があったのは吉屋信子の小説だった。主に女性読者向けに執筆していた他の作家同様、吉屋の小説は、女学生に特に人気の高かった『少女の友』や、もう少し保守的なライバル誌『少女倶楽部』などの月刊誌で連載されていた。吉屋の作品に表現されるような感受性と感情の崇拝は、多くの場合先輩後輩の間で築かれる(シスターのSに由来する)「エス」という濃密な友愛の文化の形成を促した。このような関係は大体において公認されていたが、男子との関係は完全に禁止されていた。インタビュー参加者によれば、男女は違う電車の車両に乗ることが普通であり、さらに通う書店でさえも男女別々であることが常識だったと語っている。また、通学中に自分の兄や弟と話すことすら疑いの目で見られるかもしれなかった。

男子向け選抜式中等学校同様、女子向け中等教育機関にも異なる種類やレベルの学校があった。「実科高等女学校」と呼ばれた女子向け実用学校は、一般の女学校よりも裁縫の授業時間が更に多い教育課程になっていた。人気はさほど高くなく、入学するのも比較的簡単だった。その他、様々なレベルの私立女学校が相当数存在した。インタビュー参加者によれば、地域ごとに女学校間に明らかな階層差があったという。選抜式男子校同様、女学校への入学も入学試験と面接によるものであり、受験する者は、放課後の特別授業で、小学校の先生に指導を受けたという。才能のある女子が実際に受験できるかどうかは、生徒の家庭の経済状況と女子教育に対する姿勢によった。しかし、選抜式男子中等学校と同様、小学校を卒業して女学校に入学する女子生徒は、年月を経るごとに増加し、1915年では10%程度だったものが、1940年には25%まで上昇した。

ピーター・ケイブ

文献の記載方法 

ピーター・ケイブ 「1900年~1945年の選抜式女子中等教育」近代日本における子どもおよび青年の生活と教育 [URLおよびアクセス日を追加]