1900年~1945年の小学校教育における式典と学校行事

当時の小学校教育では、科目の学習のみならず、儀式や行事が大切な役割を担っていた。

最も重要な学校慣例の儀式では、教育勅語が読み上げらた。中でも元日(1月1日)、紀元節(2月11日)、天長節(天皇誕生日)の三大節が特に重んじられた。1927年からは、明治天皇の誕生日である11月3日が、明治節として加えられ、四大節となった。これら式日の朝には、儀式に参列するためだけに、生徒は晴着で登校した。教育勅語が、恭(うやうや)しく集会場に担ぎ込まれ、校長先生によって厳かに読み上げられた。生徒たちは頭(こうべ)を垂れて静かに聞き入ったものだ。式日ごとに特別な唱歌もあった。私たちがインタビューした中の数人によると、生徒たちが下を向いているうちにこぼれて来た鼻水をすすりあげる音で、やや厳かさが損なわれることもあったそうだが、概して畏敬の念を覚えるような企画の儀式だったという。式が終わると生徒たちはそれぞれ、縁起の良い紅白で、天皇の恩恵を表す小さなお菓子をもらった。

当初、教育勅語は各学校で特別な箱に納めて保管されていたが、時と共に、天皇皇后両陛下の御真影を宮内庁から下付(かふ)される学校が増えるにつれて、神聖な教育勅語と共に御真影を安置するため、奉安殿と呼ばれる建物を建立する学校が増えた。奉安殿の前を通る時には、最敬礼をするよう教え込まれたと、私たちがインタビューした人々の多くが、回想していた。

運動会と学芸会も大切な行事だった。どちらも20世紀を迎えて最初の十年間に、年間行事として欠かせない要素へと発展した。運動会は、もともと健康体操と軍事教練の実演から始まったのだが、時を置かずして、各種競争や運動競技を含むようになった。同学年の男子女子全員による協調的行動が重要とされてきたが、時に軍隊音楽に合わせて日本軍を称賛するもののようにも見受けられた。学芸会当には、生徒らが寸劇や踊り、朗読、歌唱などを披露した。これらの多くは、民話おとぎ話の「桃太郎」など国語読本の題材に則り、直接的、または間接的な愛国主義や勇気、その他学校が促進する美徳を含む内容だった。学芸会は特に、大正期(1912年~1926年)の芸術教育運動に奨励されたが、この進取的な教育法は、単に自由主義のみならず、ドラマや舞踏、歌などを通じて国粋主義的なメッセージをより魅力的に伝えるために用いられた。運動会や学芸会には、生徒の家族や地域社会の人々が集まり、挙(こぞ)って楽しんだ。

生徒たちは一年に一度か二度、学級か学年ごとに、地域の景観や自然・史跡名勝などを徒歩で訪ねた。小学校の高学年になると行先も遠くなり、公共交通機関を使った一泊旅行もあった。行き先としては、特に伊勢神宮の人気が高く、伊勢が遠すぎる学校の生徒は、海や地方の大都市に行った。このような旅行はやがて小学校の特質の一つとなり、現在に続いている。遠足や修学旅行は、日本の学校がいかに早期から、学級での学習を超えた総体的で経験的な教育に深く関与してきたかを物語っている。

ピーター・ケイブ

文献の記載方法 

ピーター・ケイブ 「1900年~1945年の小学校教育における式典と学校行事」近代日本における子どもおよび青年の生活と教育 [URLおよびアクセス日を追加]